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FRUSIC

Author:FRUSIC
リゾート地での朝食は、必ず心地よいBGM(音楽、波の音、または、会話であったり)が流れる、ゆったりとした時間の中でフルーツを食べます。
私たちは、音楽を提案することにより、忙しい日々の合間にも、フルーツを食べながらゆとりを感じていただけないだろうかと考え、また、ミネラルを含む熱帯果実で体もリフレッシュできればとも考えます。

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fruits + music = FRUSIC
農業生産法人FRUSICのブログです
広い視野を
さて バタバタとしている毎日です

この時期というか 冬まではしょうがないですね この忙しさは

それでも 前向きにやっていれば 忙しさなんて 楽しいものです

だけど 1人でも 後ろ向きなことを聞くと かなり疲れます

聞くだけならいいですが 直接かかわってくると ほんと腹が立ちます ( 笑 )

100%完璧に生きることなどできるのか

今の豚コレラの問題もそう 豚さんだって病気になって当たり前

衛生基準を守ったところで どっからかウィルスは侵入し 病気になってしまうもの

使っているパソコンもそう 使っていれば 意図しなくても

人間だって 私自身も いったい何回病気になり 薬を飲んだことか

もちろん 病気にならないようにすることは 最も大切なことだけど

もっと柔軟に考えるべき 自身の立場だけを考えるのではなく

全体を見ていかなければ 養豚業者をやろうとする人はいないだろうし

今回の豚コレラで 他の動物にまで拡大して考え 規制するのはいかがなものか

そんなことを考えてしまい 後ろ向きになってしまったら 人間活動する意味がない

思い出せば 奥飛騨の温泉農業を始めたとき

温泉配管をまくように コンクリートを打設したら 農水省から連絡があり

ここは農地ではないって 

現場に来てから モノを言えと怒ったことを思い出します

あれから 半年ぐらいしてからかな

今では 温泉熱を活用する場合 コンクリートを打設してもいいとガイドラインができました

ヤギさん除草隊もそう 当時は 家畜を運ぶことに難色を示す人たちもいました

私は 家畜という言葉が大嫌い

一緒に働くパートナーなわけで それを切実に感じているのは

どんどん開発は行われ 緑地の維持管理業務が増えるのに 作業する人がいないこと

動物たちの住処を奪っておいて 放置するの?

最低でも 管理ぐらいはしようよ

外国人に頼めばいいの でも 豚コレラや口蹄疫などを持ってくる可能性だってあるわけで

人はよくて 動物はダメ 

人のせいにしないで 動物のせいにする ほんと悲しくなるというか 憤りすら感じます

グローバル化されてきた中で 今後の防疫体制を抜本的に見直す必要があると思います

今の古い法律の下で 規制を強化することではなく 

ワクチン開発も含め 動植物との共生を目指す 防疫体制を構築することが大切かと

いろいろと不満はあるけれど 地方の課題は 地方でしか分からない

地方に来たことがない人 机に向かっている有識者たち

もっと言えば 利権バリバリの人たちでは 何も解決しない それが現実

だからと言って 諦めるわけにはいかないので やれることをやる

反発していると言われても やる ( 笑 )

隔離して さらに隔離して 規制強化したところで 糸口は見つからないと思うから


さて 地元高校生と一緒に始まった 新たな挑戦 バタフライピー栽培

美濃加茂市の花が 紫陽花 色素つながりというわけです

バタフライピーにレモンを絞ると 鮮やかな紫色に

紫陽花も 酸性土壌とアルカリ土壌では 青と紫と違います

とりあえず 種をまいて 発芽させています

batabata
 
発芽率は さほど高くなく 50%ぐらい

購入した種の質もあるかもしれませんし 種まきする前の準備にも問題があったかもしれません

とりあえず 1つずつ やってみること

とにかく 100株ぐらいは できそうなので これから植え替えて 育ててみます


明日明後日は 福島県郡山市です

講演に行ってきます 1時間ほどです

東北の震災から半年後 福島大学の先生から 温泉農業について講演依頼があり

そこで 聞いていた郡山市の方と連絡を取り合っていて

不思議な縁ですね これで 郡山市には 3回目の訪問となります

私にできることなど ほとんどありませんが

とりあえず ウザいほどのやる気 それから 負けん気だけはあるので

元気いっぱいに話をしてこようと思います


自分だけ 自分の立場だけを考えるのではなく 広い視野で考える

そうしなと この不平等の世の中は変わらないどころか どんどん悪化します

隔離するようなやり方は 戦前の思考と同じです

人は 人間は 成長すべきです



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帰郷しました
長かった催事 といっても 催事は6日間

その準備等合わせて 7泊8日の行程でした

当然 明日からも仕事はびっしり 同時に打合せもあり 書類作りもあり

全て ありありの状況が続きます ( 笑 )


さて もうひと踏ん張り

目指すものが もう少しで 分かりやすく そして 実現していきそうなので

今まで以上に 気を遣って そして 大胆に 活動していければいいなと

とにかく 人に会い 人とお話をし 置かれた状況や環境を理解する

なので 今日は そろそろ家に帰り 

久々の我が家の布団の中で 頭を整理したいと思います


新宿にある 京王デパートに来てくださった皆さま 

ありがとうございました



・・・みたい
さて 大型連休は終わり バタバタとした毎日がスタート

というか 私には関係のない休みなので やるかとは変わらず

ただ 周りが動き出すので やっぱり 忙しくなります ( 笑 )


さて 明日から上京します

午後には新宿に入り 明後日から始まる 物産展の準備です

4月は 全てが動き出すので 忙しくなりますが

5月は 全てが稼働したまま スケジュール調整などがあり かなり気を遣います

なぜなら 今日という日は 今日しかないわけで やり直せないから

なので 今日できることは 今日やる これ鉄則

ホントは ちょっと疲れたので 早めに帰って

妻たちが帰省した際のお土産 盛岡冷麺 あるいは じゃじゃ麺を食べたいのですが

奥飛騨の温泉ハウスでは 令和初めてのドラゴンの開花がありました

reiwaflower

ドラゴンたちは 次から次へと 蕾を出し始めています

今年も 順調なようです ありがとうです

さて この時期になると 毎年というぐらい 右の手首付近がかぶれます

ちゃんと長袖を着ているのですが なんでだろう

monsyo

娘に言わせると ハリーポッターみたいだと ( 笑 )

そうか 紋章か 

にしても 何の紋章だろう

どうせなら R あるいは 小文字の r だったらね

面白かったのに なんとも言えない

毛虫でも這った跡かな それにしても かゆい


さて 9日から14日まで 京王デパート新宿店 物産展

お時間あれば ぜひ 遊びに来てください



令和の初仕事
さて 今日から新しい時代 令和がスタートしました

平成最後の日 そして 令和最初の日 共に岐阜では雨が降っています

雨降って地固まる ではないですが こうした特別な日の雨 個人的に好きです

考えてみれば 結婚式も雨でした

雨が降ったことで 周りの騒音はかき消され

落ち着いた空気が 体の中に すぅっとしみ渡る そんな感覚でした

また 雨が降っていることで 周りの動きが なんだかスローモーションに感じられ

ゆっくりと 体中に吸収されていくような そんな感じ

だから 私は 好きなんです 


さて 私にとって 令和の初仕事は 山羊さん除草隊でした

reiwa1

朝から 雨がちらつき 時折 止んでは また 降り出す 

それでも トータル的には 止んでいる時間帯の方が長いようだったので

思い切って 山羊さんたちと出勤しました

山羊さんたちがいる ぎふ清流里山公園の動物エリアは いまだ閉鎖中

お客さまをもてなすこともできず それであれば 出勤して 市内の公園を管理です

10連休の影響か 周りの騒がしさもなく 公園は静かなものです

調整池の茂みに住んでいる 鳥たちが鳴く声が響きます

記念すべき 令和頑年の初日は 静けさの中で 

自然の恵み ( 雨 ) そして 動植物から たくさんの生気を頂いたようです

明後日か明々後日には 奥飛騨に行きます




平成時代
今日で 平成という時代が終わります

私にとって 昭和という時代は 今の基礎が築かれた時代でした

若かったこともあり 何でもできるというか 純粋なエネルギーが満ちていました

過去を懐かしむということは ある意味 年を重ねた証拠かもしれませんが

それでも あの昭和という時代を生きてきたからこそ 今の自分があります

毎日を生きることが精一杯で 将来の自分を楽しみにしていた時代でもあります

そして 平成という時代 

大学進学と共に上京 いろんな意味で カルチャーショックを受けました

田舎から出ていき 東京駅での人の多さ 公共交通網には戸惑いを隠せませんでした

サークルが盛んな時代 どこどこで集合なんて言われても

どの電車を乗っていけばいいのか 駅を降りてから どう歩いていけばいいのか

都会育ちの同級生たちは スタスタと歩いていく

アルバイトもそう 何をしていいのやら 時給どうこうではなく 右も左も 全く分からなかった

何もかも 新しい生活に 取り残されないようにと 必死でした

唯一の救いは 自身の部屋があり そこで 自分だけの空間を作れたこと

煮干しで出汁をとり 味噌汁を作ったり

ちょっと格好つけて コーヒーミルを買い 豆からコーヒーを入れたり

休みの日には 朝から晩まで 音楽 

とりわけ それまで全く興味のなかった オールディーズにはまったり
 
将来に不安を感じながらも 何でもできる 何にでもなれると疑うことはなかったです

アルバイトにしても ただただ夕飯が食べられる それだけで選び

授業にも興味を示さず 出席だけ済ませれば あとは雀荘へ直行

努力もしないまま過ごした 大学の4年間

希望職種なんて考えもしなかった 当然 就職活動なんてうまくいくはずもなく

内定をほぼ頂いていた 最終面接では ことごとく反発してしまい ( 笑 )

今思うと 社会というのを 大人というものを すっかりなめていました

実績もない若造が ただただ生意気な態度をとり続け ほんと恥ずかしい

それでも 拾ってくれた企業はあったわけで

いろいろとあり たった1年ほどしかいられなかったですが

そのわずかの期間は 私にとって とても大きな意味を持たせてくれました

先輩上司からは たくさん可愛がってもらえたし たくさん叱られました

何より 先輩上司の背中から 営業というものを学びました

実家へ戻ることになり 土木技術者の道へ進むわけですが

土木業界にとっては ほんと厳しい時代

実家の土木事業を清算し 農業に本腰を入れていくわけですが

いまだに 厳しい時代を生きています

だから 私にとっての平成という時代は とにかく 迷いと耐える時代

さて 明日から 令和という新しい時代がやってきます

正直 どんな年になってほしいとか そんな期待などはありません

ただ 未来を想像し 今やれることを 1つ1つ積み重ねるだけ

残された時間を いかに有意義に活用するか

厳しい言い方をすれば ときには 切り捨てる勇気も必要なのかなと

技術者としての道を極めながら 営業もこなす

平成という時代は 専門職というものが求められ 仕事も細分化

ですが 人のいない地方にとって 中小零細企業では 全てをこなさないと

明日から 令和の時代が始まるものの 50間近にしても まだまだ基礎作り

平成時代よ ありがとう とは 心の底から言える自分がいないのが本音

ただ 昭和 平成 そして 令和

3つの時代を 生かさせてくれることには とても感謝しています

いつか 心の底から ありがとう と言えるように 

もっともっと 頑張っていかないといけないと思っています